科学ニュース速報

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カテゴリ: 歴史・考古学

1: \(^o^)/ 2019/07/21(日) 22:50:30.53 ID:6boUYIXy9
大型建物の復元CGを描いた看板が建つ伊勢遺跡=滋賀県守山市伊勢町で、礒野健一撮影
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守山商工会議所青年部が制作した「邪馬台国近江説 伊勢遺跡からはじまる物語」の一部
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なるほドリ 守山市で「邪馬台国(やまたいこく)近江説」というのを聞いたんだけど、どういう説なの?

記者 邪馬台国は2~3世紀頃に日本に存在し、女王・卑弥呼(ひみこ)が統治していたとされる古代国家です。中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に統治体制や習俗についての記述があり、その場所については古くから「九州説」と「畿内説」とで論争が続いています。そんな中、「近江説」は弥生時代の集落跡が発見された伊勢遺跡(守山市伊勢町)が、邪馬台国だったというものです。

Q 近江は畿内に隣接するから、畿内説と同じということなのかな?

A 邪馬台国畿内説の有力な候補地は、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡と考えられています。近江説は残念ながら全国に数多くある異説の一つです。

Q そもそも伊勢遺跡とは?

A 1980年に発見された弥生時代後期の遺跡で、92年に大型建物の柱跡が見つかり、全国的に注目を集めました。その後の調査で、楼観(ろうかん)と呼ばれる2階建ての建物や、祭殿と考えられる建物など、計13棟の大型建物跡が発見されました。2012年には、日本で「国」が形成される過程を知る上で重要な遺跡として、国史跡の指定も受けました。

Q 大きな遺跡なんだね。邪馬台国だと考える理由は?

A 大型建物跡が多く見つかったことに加え、伊勢遺跡から北東約6キロの大岩山(野洲市辻町)で、多くの銅鐸(どうたく)が見つかっていることが挙げられます。祭祀(さいし)に用いられたとされる銅鐸は、近畿地方を中心に出土する「近畿式」と、東海地方を中心に出土する「三遠式(さんえんしき)」がありますが、大岩山からはその両方が見つかっています。このことから、当時の伊勢遺跡周辺が東西交流の重要拠点であり、邪馬台国のような大国の存在が推定できるというのです。

Q それだけの理由で邪馬台国が守山にあったと言っていいの?

A 守山市教委文化財保護課によると、伊勢遺跡で新発見が相次いだ1990年代当時、地元ではその可能性を大いに期待したそうです。しかし、その後の研究で、伊勢遺跡は魏志倭人伝が邪馬台国のことを記述した時期より古いことがわかり、今ではその可能性は低いと考えられています。

Q 残念だなあ。地元の人もがっかりしてるんじゃない?

A 学術的には劣勢な近江説ですが、地元自治会や市商工会議所は、歴史ロマンを絡めて町おこしをしています。毎年秋には、弥生時代の食べ物や生活を体験する「遺跡まつり」を開くほか、今月27日にある「もりやま夏まつり」では、恒例の「卑弥呼コンテスト」も開かれます。

Q まだまだ盛り上がっているね。

A 市商議所青年部は今春、近江説をマンガで紹介する冊子「邪馬台国近江説 伊勢遺跡からはじまる物語」(A4判カラー8ページ)を発行しました。担当者は「邪馬台国が守山にあったかもしれないという話を知って郷土に誇りを持ち、地域の活力に変えていければ」と話します。商議所に問い合わせれば、冊子は無料でもらえます。

Q 伊勢遺跡の現状はどんな様子なの?

A 現在は全て埋め戻され、幾つかの説明看板が立つだけです。詳細は決まっていませんが、市は遺跡周辺の用地を買収するなど、本格的な史跡公園の整備を考えています。大型建物群が復元される日が来るかもしれません。<回答・礒野健一(草津駐在)>

毎日新聞 2019年7月17日
https://mainichi.jp/articles/20190717/ddl/k25/070/453000c?inb=ra

引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1563717030/

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1: \(^o^)/ 2019/07/21(日) 05:24:12.80 ID:Kc9F8guX9
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江戸時代のサラリーマンともいえる武士たちは意外なことに休日が多いのが実情でした。
そう考えると羨ましいと思うかと思いますが、実際は大変でした。

休日を有意義に過ごすことができたのは上級武士で下級武士はアルバイトに精に出していました。

今回は下級武士たちが抱えていた問題をご紹介します。

アルバイトは様々

下級武士は生活のために寺子屋の講師や盆栽の栽培など多様性に富んでいました。
尚且つ、家の中でこなすアルバイトが多く武士たちが己のプライドを守るため隠れてアルバイトをしていた事情が窺えます。

芸能の才があった下級武士は今でいうお笑い芸人さんのように営業を行い、生計をたてる者もいました。

そんなアルバイトの中には江戸の名物にもなったものもありました。それは朝顔の栽培です。

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綺麗に咲かせた朝顔は江戸中でブームとなり、現代まで続く入谷の朝顔市はこれが起源となっています。

下級武士たちの本音!「実は出世したくないんです…」

実は下級武士は出世することを良しとしていませんでした。

出世すれば今より多く給料が貰えると考えがちですが、出世しても増額はありませんでした。

あるとしても気持ち程度の増額なので、出世したことにより役職に見合った身なりや交友関係を整えなければならず、下級武士たちを困らせていました。

出世した下級武士はこうやってやりくりした!

では、出世した下級武士はどうやってやりくりしたのかというと、賄賂が主な手段となっていました。

武士は邪なことはしないとイメージがあると思いますが、賄賂は江戸幕府も黙認しており、貰うことは決して後ろめたいことではありませんでした。

しかし、賄賂を貰うことに夢中になり、本来の仕事をおろそかにしてしまうと元も子もないので江戸幕府8代将軍、徳川吉宗は給料制度を大きく変えました。

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そのことにより、役職の任期中はかなりの額のボーナスを貰える厚待遇になりましたが、任期を終えるとボーナスがなくなるので、当時の武士たちは仕事よりも地位を守ることに精を出すことになってしまいました。

最後に

江戸時代の下級武士たちは本業の他にアルバイトで生計を立てていることに驚きでした。
このようなことから江戸時代は武士でも必死に働かないと生きていけない過酷な時代だったことがわかりますね。

参考:水戸計著『教科書に載っていない江戸の大誤解』

https://mag.japaaan.com/archives/101787/2
@2019/07/17

引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1563654252/

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1: \(^o^)/ 2019/07/11(木) 22:59:41.95 ID:feVJb+l09
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前回、日本史の謎の一つである邪馬台国の位置について、実は阿波にあった?という衝撃的な説を書かせて頂いた(https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190706-19057772-naigai)。

今回は幾つか残る『阿波風土記』の断片のうち、興味深いものを紹介しよう。その内容は、空から大きな山が阿波国に落ちてきた。その山が砕け散り大和国に落ちて、天香久山になったとされているのだ。これは何の比喩なのか。阿波で成立した国家が奈良に移動したととれないだろうか。

不気味なことはまだある。阿波出身の国学者である池辺真榛は、延喜式の研究を行い、自分の故郷である阿波国が日本のルーツだと確信した。その後、池辺は阿波藩政を非議したという罪を被せられ、文久3年(1863)に身柄を拘束され、阿波藩邸に監禁され、不審な死を遂げている。

また、日本神話において、一番最初に生まれたのが淡路島であり、その次に四国である。この四国は四つの顔を持って生まれたと言われた。讃岐と土佐は男の顔で、阿波と伊予は女の顔であった。つまり、徳島は卑弥呼を連想させる女の顔の国であったのだ。さらに、同じ女の顔とされた地域、伊予が卑弥呼の後継者「いよ(壹與)」と同じ発音なのも気になる。

徳島県阿南市椿町に位置する蒲生田岬には「因幡の白兎」伝説があり、出雲大社の元となった社も、伊勢神宮の元となったとされる社も徳島には存在する。日本神話のルーツは阿波なのであろうか。となると、悪神に殺されたヤマトタケルの御霊が讃岐まで飛んできた上、白鳥になったということは祖霊の地である四国に死後に帰還したという暗示ではないのだろうか。つまり、神武東征とは、邪馬台国が四国から畿内に攻め込み、その後、畿内に定着し大和朝廷となった事実を意味しているのではないだろうか。

それから、邪馬台国の条件の一つに、“柑橘類のある土地であった”というものがある。特別に記述したということは、ただ単に柑橘類が採れたという程度ではないだろう。かなり、柑橘類が豊富な土地であったという意味にとれる。この条件は様々な種類の蜜柑が育つ柑橘王国である徳島は申し分ない。

さらに、魏志倭人伝の記述によると、邪馬台国の山には丹があるとされている。この丹とは水銀のことを指しており、徳島は水銀の産地である。つまり、邪馬台国の候補地には水銀丹(朱)の出る山がないといけないのだ。水銀産出跡地に関しては、徳島以外でも三重や和歌山でも確認できる。だが、どれも小規模なものであり、鉱山と呼ぶには程遠い。だが、我が徳島には、邪馬台国時代から続く水銀鉱山と呼ぶべき大きめの遺跡が阿南市にある。それが若杉山遺跡である。これこそが証拠の一つではないだろうか。

しかも、不気味なことに、この遺跡の周辺には、ヒルコ神社が二十数箇所鎮座しているのだ。ヒルコ(蛭子)という異形の神が守護するこの遺跡には、何か深い意味があるように思えてならない。このように蜜柑、水銀など、状況証拠は十分にある。

そして、邪馬台国の時代から続く「阿波忌部一族」も徳島の特殊性を裏付けている。1800年続くこの一族は、一時期中断してきたが、古代から現在まで天皇家が大嘗祭で着用する麻の衣服を献上してきた。阿波こそが天皇家のルーツ。邪馬台国である証拠ではないだろうか。(山口敏太郎)

2019/7/7 23:00
https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190707-87446039-naigai

引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1562853581/

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