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カテゴリ: 歴史・考古学

1: しじみ ★ 2018/01/04(木) 21:02:27.22 ID:CAP_USER
【1月2日 AFP】
イスラエルで1日、聖書に登場するエルサレムの統治者が所有していた可能性のある肖像とヘブライ語の言葉が刻印された2700年前の粘土質の封印が公開された。
市統治者の代理として誰かに宛てて送られる物に貼付されていたとみられるという。

イスラエル考古学庁(IAA)によると、丸いボタンほどの大きさの封印が発見されたのは、エルサレム(Jerusalem)旧市街(Old City)にあるユダヤ教の聖地「嘆きの壁(Western Wall、西の壁)」付近の建物の中。
紀元前7世紀ごろのものとみられる。

長衣を着た男性2人が左右対称に向き合っている姿が刻印されており、下部には古代ヘブライ語で「市統治者(市長)」と読める言葉が記されている。

「嘆きの壁」の近くで発掘作業を行っているIAAのシュロミト・ウェクスラーブドラ(Shlomit Weksler-Bdolah)氏は、AFPの取材に対し「(エルサレムの)市統治者という表現はこれまで聖書でしか知られていなかった」と述べた上で、「紀元前7世紀の建造物の発掘作業という考古学的背景の中で発見されたのは今回が初めて」であり、「今回の発見は非常に重要な意味を持つ」と語った。

封印には、統治者の名前やエルサレムという都市名は記されていない。
しかしウェクスラーブドラ氏は、聖都を示すものだと考えていると述べ、近いうちに行われる予定の科学的検証によって、エルサレムとの関連が裏付けられることに期待を寄せている。(c)AFP

画像:2700年前の粘土質の封印を持つ、イスラエル考古学庁(IAA)のシュロミト・ウェクスラーブドラ氏

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AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3157212

AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3157212

引用元:http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1515067347/

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1: \(^o^)/ 2017/12/28(木) 18:29:38.51 ID:CAP_USER
モンゴルのゴビ砂漠北辺で、岩壁に刻まれた約2千年前の漢文の銘文がみつかった。
中国の後漢王朝(25~220年)の遠征軍が、モンゴル高原を支配していた騎馬遊牧民・匈奴(きょうど)と交戦した経緯や「戦果」を祝う詩などが刻まれ、中国の歴史書に記載された内容とほぼ同じだった。モンゴル最古の漢文銘文とみられ、専門家は、なぞに包まれた匈奴と後漢の関係史の解明につながると期待する。

鈴木宏節(こうせつ)・青山学院女子短期大学助教(東洋史)らが2010~17年、モンゴル科学アカデミーと共同で現地調査を断続的に実施して明らかにした。

鈴木さんによれば、現場は首都ウランバートルから南南西に約350キロ離れた、ゴビ砂漠の北側に広がる標高1471メートルの山岳地帯。
銘文は、南側に向いた岩壁に刻まれていた。
高さ約3メートルの石の平らな表面に縦120センチ、横180センチの範囲に残されていた。
1文字の大きさは4センチ角。計250文字程度が確認でき、字体や内容から後漢が残した文章とみられる。

画像:モンゴルでみつかった漢文銘文の拓本。
「封山刊石(山で祭祀〈さいし〉し、石に文章を刻みの意味)」
「王師征荒裔(漢帝国の帝王の軍隊は最果ての地を制覇したの意味)」などと読める
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朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20171227000838.html

引用元:http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1514453378/

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1: \(^o^)/ 2017/12/11(月) 12:35:06.89 ID:CAP_USER
イスラエル、エルサレム旧市街にある聖墳墓教会は、イエス・キリストの墓とされる場所に立つ教会だ。
歴史的記録によると西暦326年、ローマ人が発見した墓を取り囲むように、教会が建てられたという。

しかし、この教会はこれまで何度も攻撃され、火災や地震の被害を受けてきた。
西暦1009年には完全に破壊され、その後再建された。
そのため、ここが本当に1700年前にローマ皇帝の代理人がキリストの墓と特定した場所なのかどうか、現代の学者たちは疑問視していた。

今回、教会の中にある埋葬用の洞窟(横穴)から採取された残留物が科学分析にかけられ、その結果がナショナル ジオグラフィックにもたらされた。
それによって、墓はやはり古代ローマ時代にはすでにあったことが確認された。

分析にかけられたのは、本来の墓とされている岩とそれを覆っていた大理石の板の間から採取された漆喰で、西暦345年のものと測定された。

これまで、墓の内外から発見された建築的証拠は、最古のものでも11~12世紀の十字軍時代のものと測定され、墓が1000年以上古いことを示す証拠は何もなかった。

新約聖書には、ナザレのイエスとして知られるユダヤ人が、エルサレムで西暦30年か33年に十字架刑に処せられたと書かれている。
この墓がその人物を葬った場所であるかどうかを証明するのは考古学的に不可能だが、今回の年代測定の結果によって、墓の構造物はローマ皇帝初のキリスト教徒であったコンスタンティヌスの時代のものであることがわかった。

2016年10月、墓を取り囲むようにして建設されたエディクラと呼ばれる聖堂の大々的な修復工事を行うため、墓は数世紀ぶりに開かれた。
作業に当たったのは、アテネ国立技術大学の学際チームである。
この時、エディクラの内部で数カ所から漆喰が採取され、年代測定を行うため研究所に運ばれた。
その結果は、エディクラ修復プロジェクトを率いたチーフ科学監督のアントニア・モロポーロー氏よりナショナル ジオグラフィックへ提供された。

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関連ソース画像
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日経スタイル
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO24079580Q7A131C1000000

引用元:http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1512963306/

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